リズミカルに靴音を響かせながら、暗い地下鉄構内を軽やかに進む人影。
時折、擦れ違う列車の光が一瞬人影を照らし、その柔らかいシルエットをあらわにする。 もし、車内から外を眺めている者がいれば、その光に照らし出された姿を見て、目を奪われたことであろう。
その地下鉄は、この街が出来た頃から存在し、古くから市民の日常の足として親しまれてきた。 延長に延長を重ねられてきたその経路は、今ではクモの巣のように都市の地下に広がっている。 廃線経路や新設経路が入り組んだ構内はまるで迷宮のようになっており、例え関係者であっても迷うことがしばしばあると言う。

しかし、そんな地下鉄構内を地図も持たず軽やかに走るその人物の足取りには、少しの迷いも見られなかった。その証拠に、もう目的地のプラットフォームへと辿り付いてしまったようだ。
事前に用意していたロングコートと帽子を素早く身に着け、ちょっと呼吸を整える。 ひと気が辺りにないことを確認してから小声で何か呟き、コートの裾をひるがえしながら悠然と地上への階段を上がる。
月明かりに照らし出されたその姿は、美しい女性のそれであった。

ガーネット―――それが彼女の呼び名である。
彼女は、その道では名の知れた情報屋である。アベルというハッカーのブレインとコンビで活動し、合法・非合法を問わず裏の仕事を請け負っていた。
そんな中、とある目的で資金を集めていた彼女は好機に恵まれることになる。
第5回F.F.S.である。勝者の望みを何でも叶えると言われる、その大会に参加したガーネットは、見事優勝し、自らの望むモノを手に入れた。それまでの仕事も止め、豪邸で暮らすガーネット。
しかし、そんな退屈で刺激も無く、素敵な出会いすらも無い生活に耐えられるはずは無く、彼女が再び元の稼業へ復帰するのにそう時間はかからなかった。

エレベーターが小気味良い音を鳴らし、搭乗者に階への到着を知らせた。
都市開発から忘れ去られたような廃ビルの一室、いわゆる彼女達のアジトである。
「アベル～、データ回収終了～。解析お願いね～。あー疲れた…。」
彼女はアベルの名を呼びつつコートを脱ぎ散らかした。データディスクをアベルに渡そうと思ったが姿が見えない。リビングや自室はもちろん、バスルームも静まり返っている。
「アベル～？どこよー？今回の仕事は急ぎじゃなかったの？クライアントにブツクサ言われるのはアタシなんですけどー？」
やはり返事は無かった。珍しく外出でもしたかと思い直し、とりあえずメールのチェックを行った。
「ったく、出かけるならさっきの定期連絡の時に言っておけってばぁ…　ン？」
いくつかの依頼メールに紛れて、1つおかしなものがあった。
差出人に見覚えは無く、表題に“デスク最上段の引出しを開いて下さい”とだけある。
本文は無しだ。何となく手元の机に視線を落とす。引出しの中には漆黒の封筒が一通、恭しく置いてあった。
「ゲゲッ、いやーな予感…。これは開けない方が身のためのような…。」
とは言え、開けないわけにもいかず、封を切ると中からは手紙と見覚えのある招待状が出てきた。
手紙に目を通すガーネット。
―――どうやら、アベルが当局に捕まったらしい。しかも、司法取引でアベルを助けたければ第6回F.F.S.に参加、優勝しろと言う。
「あんのバカッ！」
手紙を手にしたまま、ガーネットは後ろ向きにベッドに倒れこんだ。
“どうしよう？”

前回のF.F.S.の戦いの熾烈さを思い出し、PROBE-NEXUSが関わっていることを考慮に入れると、今回は更にそれを上回る大会になるであろうことが容易に想像できた。 それを思うと、大会に参加することはぞっとしない。
だがしかし、アベルを失うことは今の仕事を失うことと同義である。後方支援のアベルがいなければ、この仕事は成り立たない。 アベルには危うい所を助けられたこともあった。そして、パートナーを簡単に切り捨てられる程、ガーネットはクールではなかった。
「なんだかんだ言って、アイツがいないと仕事にならないし…それに借りも結構あるしね。
―――とは言え、バックアップも無しに動くわけにも行かないし…まずはアイツの弟に連絡っと。」
考えが決まれば彼女の行動は早かった。
ガーネットはベッドから跳ね起きると、携帯のアドレス帳からアベルの弟―――コボルの連絡先を探し始めた。